1970年代になって、科学の進歩に伴い、地球の大気のしくみについて理解が進み、地球温暖化が深刻な問題として、科学者の間でも注目されるようになりました。 1985年にオーストリアのフィラハで開催された地球温暖化に関する初めての世界会議(フィラハ会議)をきっかけに、二酸化炭素による地球温暖化の問題が大きくとりあげられるようになりました。
1988年には、国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)によって、地球温暖化に関する科学的側面をテーマとした政府間の検討の場として「気候 変動に関する政府間パネル(IPCC: Intergovernmental Panel on Climate Change)」が設立されました。これまでに5回発表された報告書では、世界の国の政策や世論に大きな影響を与え、気候変動枠組み条約や京都議定書の議論において、もっとも信頼できる最新の 科学的・技術的知見を提供し続けています。
「気候変動枠組条約」は、1990年の「第2回世界気候会議」のときに、国連のもとで本条約を作成することが決議されました。そして、「気候変動枠組条約」は、1992年5月の国連総会で採択され、同年6月の「地球サミット」の場で署名が開始され、94年3月に発効しました。
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気候変動枠組条約とは
地球温暖化をめぐる日本と世界の主な出来事(年表)
コラム
1889年にスバンテ・アレニウスというスウェーデンの科学者が、二酸化炭素と地球温暖化の関係についてすでに指摘していました。また、日本でも1932 年に宮沢賢治が小説「グスコーブドリの伝記」で、火山の噴火で排出された二酸化炭素の温室効果によって冷害からの農民を守ろうとする主人公の姿を描いています。もっとも現在では、火山の噴火は二酸化炭素とともに排出される粉じんによって、太陽光線がさえぎられ、全体ではむしろ冷却効果のほうが大きいことがわかっています。