気候変動COPは、2週間、開催されます。会議が休みになるのは、間の日曜日だけ。唯一の休日、ワルシャワの街の散策に出かけてきました。ワルシャワ歴史地区は、世界遺産に登録されており、とても美しいです。第二次世界大戦で徹底的に破壊されましたが、戦後、ワルシャワを愛する市民たちにより、「ひびの一本にいたるまで」と言われるほど、忠実に復元されたそうです。
写真1:旧王宮(写真右手)前に広がる王宮広場
皆さんがワルシャワと聞いて思い浮かべることは何でしょうか。私が思い浮かべたのは、「ピアノの詩人」と呼ばれる、ショパンが生後7か月から20歳までを過ごした地であること。そして、もう一つ、1903年のノーベル物理学賞、1911年のノーベル化学賞を受賞した、キュリー夫人のふるさとであることです。2人とも、ポーランドを離れて活躍しましたが、ポーランドには強い思い入れを持っていたようです。
ワルシャワには、ショパン博物館もキュリー夫人博物館もあります。キュリー夫人博物館に行ってきました。キュリー夫人の生家に、研究に関する資料や、キュリー夫妻とその家族の写真、使っていたものなどが展示されています。
展示を見る中で、印象に残ったことが3つあります。1つは、キュリー夫人の博士論文(ポーランド語)の表紙のデザインが素敵だったこと。2つ目は、不慮の事故で夫を亡くしたキュリー夫人がパリ大学での夫の職位等を引き継いだ時の心境を後に振り返って日記に記した言葉。そして、3つ目が、国際協調に対する彼女の思いです。
キュリー夫人と国際協調?と少し意外に感じたのですが、後で調べたところ、彼女は、1922年に国際連盟の下に設立された、国際知的協力委員会(ICIC)(現在の国連教育科学文化機関(UNESCO)の前身)の委員を務めていました。当時、彼女は、以下のような発言をしたようです。
「私は、国際協調の実現がとても難しいことを理解している。しかし、国際協調は、たとえ、とても大きな努力と正真正銘の献身が必要であるとしても、成し遂げられなければならない課題である」。
写真2:キュリー夫人博物館の外観
昨日(16日)、強化された行動のためのダーバン・プラットフォーム(ADP)のストックテイキング会合が開催されました。ストックテイキング会合とは、これまでにどんなことが議論されたかを議長がまとめて各国がそれを確認し、今後、どのように議論を進めていくかなどを議論するものです。
写真3:議事を進めるクマルシンADP共同議長(トリニダード・トバゴ)
ADPでは、2020年以降、国際社会が気候変動問題にどう取り組んでいくかについて、2015年末までに合意することになっています。クマルシンADP共同議長は、2020年以降の国際枠組みに関するそれぞれの要素について議論を進展させることと、2020年までの各国の排出削減目標の引き上げについて、明確な見通しを示すことが、ワルシャワ会合での目標であると述べました。
ルンゲ=メッツガーADP共同議長(EU)は、ワークストリーム2(2020年までの目標の引き上げについて議論する場)での各国の発言は、以下4つのブロックに分けられるとしました。①気候変動枠組条約の諸規定及び諸原則に基づいて作業をすること、②これまでのCOP決定の実施を促進すること、③気候変動枠組条約の下で、2020年までの各国の排出削減目標を引き上げること、④2020年までの世界全体で排出削減量をより深化させるための具体的な提案。
このまとめを受けて、各国による意見交換がなされました。各国ともこれまでの立場を崩していません。先進国は、気候変動枠組条約の「先進国」と「途上国」の役割分担を超えて、途上国、特に、大きな温室効果ガス排出量を持つ途上国に対し、排出削減を実施するよう求めています。途上国は、気候変動の責任は先進国にあるとし、先進国に対し、京都議定書第2約束期間への参加、2020年の排出削減目標の引き上げ、途上国に対する資金支援や技術支援の拡充などを求めています。先進国と途上国とで、ほぼ唯一、一致していたことが「2020年までの目標の引き上げをどの程度実現できるかによって、2020年以降の国際枠組みの内容が決まる」ということです。
先に述べた、キュリー夫人の発言から約90年の月日が流れていますが、国際協調が難しいことは変わっていません。そして、国際協調が成し遂げられなければならない課題であることも変わっていないと私は思います。
COPの2週目には閣僚級会合が開催されます。この交渉の膠着した状況を政治的意思がどのように打開し、来年のCOP20(リマで開催)、そして、2020年の国際枠組みに関する合意が採択される予定のCOP21(パリで開催)にどのようにつなげられるかが注目されます。
写真4:来年のCOP20が開催されるペルーのブース。16日には、ピスコサワー(ピスコ(白ブドウの蒸留酒)とレモンジュースと卵白をシェイクしたもの。ペルーの代表的なカクテルだそうです)が振る舞われていました。
文・写真:久保田 泉(国立環境研究所社会環境システム研究センター主任研究員)